吉岡男泣き引退…自力貫き完全燃焼/競輪

 競輪界の一時代を築いた吉岡稔真(36=福岡)が、選手生活を終えた。引退を決意して臨んだKEIRINグランプリ06(GP)は、まくり不発で9着。涙の止まらなかった引退セレモニーで、多くのファンに別れを告げた。

 周回を重ねるたびに、あふれる涙が止まらなかった。最後の力を振り絞ったまくりも、届かなかった。それでもファンは誰1人帰らなかった。ファンが叫ぶ。「吉岡!」。激闘が終わった真冬の夕暮れに、再び吉岡がバンクに戻った。何度も目頭を押さえる。「この寒いなか、残ってくれてありがたく思っています。17年間ありがとうございました。吉岡稔真は、これだけのファンに見守られて身を引くことができます」。惜別の言葉、ファンの涙は止まらなかった。

 体は限界だった。強いがゆえに、激しいブロックを受け続けた。17年間で蓄積した落車のダメージは、すでに4日間のグレードレースを乗り越える力を奪っていた。だが、誰よりも愛するファンの期待がグランドスラム。唯一残されたタイトルのオールスター(G1)に挑戦し続けた。昨年の決勝6着で「引退」の2文字が脳裏にちらついた。それでも「このまま何もお返しできずに終わるのは悪い」。今年3月に涙した日本選手権の優勝が、ファンへの最後の恩返しだった。思い残すことなく引き際を決めた。今年のオールスター後には、愛弟子たちを寄せ付けなかった。気力すら沸き上がらせることもできなくなっていた。

 「GPの大舞台で走ることすら難しいのに、この舞台で進退を決めることができて光栄。いい形でピリオドを打ちたいと思っていた」。記者会見で話す表情は、肩の荷が下りた安堵(あんど)感でいっぱいだった。ようやく勝負の世界から解放された瞬間だった。

 打鐘が鳴り響くなか、ファン1人1人に手を振り、ラストランで最後の声援に応える。敢闘門へ向かう吉岡の背中に吉岡コールが起こった。06年12月30日、競輪界の一つの時代が終わった。だが、「F1先行」の記憶が忘れられることはない。

http://www.nikkansports.com/race/keirin-kyotei/p-rc-tp1-20061231-136990.html

36歳吉岡 涙の引退ラン…KEIRINグランプリ06

 ◆KEIRINグランプリ06(30日・京王閣) 最年長V記録を苦労人・有坂が更新―。「KEIRINグランプリ06」(GP)は30日、東京・調布市京王閣競輪場で今年のベスト9により第12レースで争われた。福島勢に乗った有坂直樹(37)=秋田=が、直線で鋭く伸びて初制覇。1994年大会、井上茂徳(引退)の36歳Vを塗り替えた。優勝賞金1億円を獲得した同選手は初の賞金王にも輝いた。3回目の優勝を狙った吉岡稔真(36)=福岡=は、まくり不発で9着に敗退し、体力の限界を理由に引退を正式表明。レース後に場内でセレモニーを行い、多くのファンに惜しまれながら現役生活にピリオドを打った。

 午後5時35分、“吉岡劇場”は幕を閉じた。

 「吉岡稔真はファンのおかげで、このような形で身を引くことができます。ありがとうございました」残ってくれた大観衆に向け、最後のセリフを振り絞る。そして、打鐘の鳴り響く中、17年間の競輪人生を走馬灯のように巡らせながら、バンクをゆっくりと走り納め。選手仲間による胴上げで3回、師走の宙を舞った。

 発走15分前だった。くしくも家族、弟子たちが控えていた部屋の壁に向かい、祈るような気持ちで目を閉じ精神統一。その姿は引退を決意した最終戦を前に、痛々しくもあった。

 トレードマークの青いフレームを手に、真っ先に敢闘門裏へスタンバイ。スーパースターも人間だ。張りつめていたものが徐々に解き放たれかけると、熱いものがこみ上げてきた。「発走台は涙をこらえるのが精一杯。レース途中から涙で前が見えなくなってしまった」ラストランは、まくり不発。「こんなオレに九州の後輩2人が、何も言わずに付けてくれるなんて…」また涙をぬぐった。
やめないで 「ありがとう」「辞めないでくれ」セレモニーを終えてスタンドを後にするカリスマレーサーを必死に引き留めようと、ファンの声はいつしか押し寄せる“吉岡コール”へと変わった。

 「もう、こんなに涙を流すことはないでしょう。弟子がタイトルを取ってくれれば、うっすらなら出るかな」競輪界に旋風を巻き起こし続けた“リードオフマン”。1279走目を走り終え、少しだけ笑顔が戻っていた。

 ◆吉岡に聞く

 ―ラストランを終えた今の気持ちは?
「言葉に言い表せない安堵(あんど)感があります」

 ―引退を決意した時期はいつごろか
「去年の名古屋オールスターを終わってからです。そのころから少しずつ、体が悲鳴を上げて…。ここで辞めると、ファンの皆さんが応援して下さったのに何もお返し出来ないと思って、もう1回、特別(G1)を取ってと。ダービー(3月の立川・日本選手権)を取った時点で気持ちを固めていた」

 ―グランプリで辞めることについては
「グランプリの舞台で進退を決められるというのは光栄。いい形で自分の進退を決められた。レースでは周回を重ねるごとに涙が出て、ファンの方には申し訳ないが、レースにならなかった」

 ―思い出のレースは
中野浩一さん(現スポーツコメンテーター)から逃げ切った前橋記念(1990年11月10日・準決勝)、神山雄さんと争った95年のグランプリもあるが、地元の競輪祭(小倉)を22歳の時に取れたのが思い出」

 ―今後は
「何も考えていない。1、2か月ゆっくりしたいが、全国の人に吉岡を知ってもらったのが競輪。全国の競輪場にお礼に行きたい」

 ◆吉岡 稔真(よしおか・としまさ)1970年6月15日、福岡県北九州市生まれ、36歳。私立豊国学園高卒。1990年4月7日、小倉でデビュー(《8》〈9〉〈3〉)。92年3月の前橋「日本選手権(ダービー)」で史上最速G1制覇。同大会通算4回、G1競輪祭3回、G1寛仁親王牌、G1高松宮記念杯、GPは各2回、G1全日本選抜は1回優勝。93年世界選手権ノルウェー・ハーマル大会、ケイリンで銅メダル。オールスターファン投票第1位10回。全国5競輪場のバンクレコード(ラスト半周タイム)保持は史上最多を維持。1279戦586勝、通算獲得賞金16億8866万4299円。175センチ、80キロ、血液型A。家族は父・孝浩さん(61)、母・春美さん(58)。弟・啓史(32)=75期・A1=、邦彦(29)=84期・A1=も選手。

http://hochi.yomiuri.co.jp/gamble/keirin/news/20061231-OHT1T00052.htm

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BSで見てたけど、中野浩一の微妙な言い回しが歯がゆかったなぁ・・・。
有り金全部吉岡からの頭流しで車券を買おうと思ったら、電投口座に60円しかないんでやんのw
イーバンクなら買えたかもしれないが、結果、買わずにラッキー。
それにしても優勝が37歳でGP初出場の有坂直樹
なんか因縁めいていますな。